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長崎で喜波貞子展を見る
長崎出張の合間に久しぶりにグラバー園に行ってみる。
旧リンガー住宅の前に行くと中から「マダム・バタフライ」のアリアが聞こえてきた。
「喜波貞子の生涯展」と入り口にある。さっそく覗いてみる。

キワ・テイコとはいったい誰なのか。
各部屋の展示をみていくうちにそれは今世紀はじめにオペラ「蝶々夫人」役でヨーロッパで名を馳せたオペラ歌手「喜波貞子」であることがわかる。そういう人がいたことは知っていたが、恥ずかしながら名前さえ知らなかった。日本ではあまり知られていないらしい。

喜波貞子は1902年(明治35年)11月20日、横浜に生まれた。母方の祖母が日本人(この祖母が”キワ”という名前のため喜波と名乗ったらしい)、祖父はオランダ人で、父親はオランダ人商人だった。彼女は実はクォーターである。1920年、18歳の時に日本からミラノに渡り、声楽のレッスンを積んだ後、1922年、「蝶々夫人」のリスボン公演にマダム・バタフライ役でデビュー、以後、ヨーロッパで次々と公演を行い、有名になった。後にやはりオペラ歌手だったポーランド人ラヴィタ・プロショフスキーと結婚し、戦後はニースで暮らした。1983年にニースで亡くなっている。
夫を亡くした晩年、「日本には帰らないのですか?」との質問に「もう、日本に帰っても知っている人が誰もいないのです。」と語ったということが最後の部屋にかかれていた。

クォーターでありながら、18歳までに日本で身につけたことを生涯守り通し、日本人以上に日本人らしく、他を寄せ付けない完璧な「マダム・バタフライ」であったと言う。リンガー邸で流れたいたその声の美しさは、何十年も前のものとは思えないほど素敵な声だった。
今年はオペラを聴くぞときめているが、「マダム・バタフライ」もどこかでやらないかな。


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Posted by : 春野おがわ | 音楽 | 09:32 | comments(0) | -| - |
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